元禄15年赤穂浪士討入りより15年後の正徳2年(約300年前)先祖の粉名屋小太郎は藩より御鑑札を受け温飩屋株を所持し無役ながら温飩屋(今の蕎麦屋)を営業しておりましたが、11代上杉治広公の代、仲間切り諸締の役を命ぜられました。
 そしてこの温飩屋株を所持する者は御役御免(税金免除)となり戦場に御供する際は藩の兵糧方として士分に隼ずる待遇を受け名実とともに米沢藩御用として活躍いたしました。
 一旦暖急の場合表よりどっとなだれ込む武士達は裏口まで続いている土間の両側の縁に腰をかけ大急ぎでそばを掛っ込み裏口よりどっと戦場へと出陣したということです。
 我が祖先が「米沢藩御用掛込蕎麦」といわれる由縁もそんなところにあったのでしょう。また掛込の「掛」は挽掛・打掛・煮掛に通ずるものともいわれました。
 現在まで12代に亘り連綿と受け継がれてきた小太郎そばに私共は真心をこめて精進いたしております。
 ぜひご来店をお待ち申し上げます。

 


 

 

 

旧藩時代は現在の蕎麦屋を温飩屋と呼び、米沢藩六代藩主上杉吉憲公の代正徳2年に23軒の温飩屋の営業を許可し、温飩屋株と鑑札とを与え、これを所持しない者は営業することが出来なかった。丁度元禄15年の赤穂浪士の討入りから10余年後のことである。
 温飩屋株とはどんなものか最初に出たその時の書き物は残っておらず明文化できないが、要約すれば「戦いが起った場合この23軒の者たちは戦場にお供して兵糧方を相勤めるべし、この場合武士同等の処遇をなし税金免除とする」という取り決めだった。 謂はば一旦暖急の時の炊出し応援である。


▲温飩屋株と同時に与えられる鑑札

 

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